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長崎市畜犬取締条例(1957年~1968年)について・その3

その1その2からの続きです。今回は、市議会でのこの条例の審議の様子について見ていきます。

 


 

そもそもさるねこ父がこの「全国初」の条例に気づかされたのは、長崎年表の1957年3月29日の記述を見たからです。そこにはこうあります。

 

長崎市議会が犬の放し飼いを禁止する全国初の畜犬取締条例を可決
畜犬の放し飼いなどを規制することで環境衛生の向上と市街の美化を図るため、全国に先駆け制定
違反者は拘留または科料に処される

「長崎年表〈昭和時代(13)〉」より1957年3月29日の項

 

それでまず1957年3月29日近辺の記事から探し始め、最初に当たったのがこの長崎市議会での議論のようすを報道した記事です。正直なところ「せいぜいちょっとした囲み記事になってるくらいだろ」と思っていたのですが、思いのほか市議会での議論が白熱していて驚きました

 

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畜犬取締条例など可決 迷問答に議場わく|長崎市会 きのう本会議

三月定例長崎市議会の十九日目の二十九日は午前十一時から本会議を開き、開会中の教育厚生、産業経済、建設の三常任委員会に付託された畜犬取締条例など二十五議案、三請願について委員長報告があつたのち、委員会承認通り全議案を可決、三請願を休会中の委員会に付託することを承認した。

二十五議案のうち主なものは元英国領事館あとを児童科学館にする条例、ひき船の使用料と市営交通船の通勤定期券の値上げ、大波止-金鍔間の航路廃止などが含まれている。

一方、全国初の試みである畜犬取締条例については〝法にてい触する〟として慎重論を出すものや〝条例制定以前の野犬対策が生ぬるい〟として反対する者〝犬にもう少しの親心を〟と再検討を希望する者がそれぞれ意見を交わしたが、午後の本会議で町田議員(さつき会)から休会中の委員会で再検討する動議が提出され採決の結果、賛成少数で動議が否決され、条例案について採決の結果、賛成多数で原案通り五月一日から実施することを議決、午後三時本会議を散会した。

畜犬取締り条例に対する議員の発言と理事者の答弁次の通り。

▼長田秀雄議員(無所属)=畜県条例は一日も早く実施されるよう臨むが、第三条の中で「道路または公園その他公衆の集合する場所ではクサリなどでつないで連行せよ」といつていながら「ただし所有者の監視下において公園などの広場で運動させること」は許しているが、つじつまがあわない。

▼大利衛生部長=長崎の状況を考えてみて公園まで取締ることはできないと考え、とくにただし書をつけた。

▼長田議員=野犬の捕獲人の捕獲手当は三十円、飼育管理料は一日五十円を引取人が出すようになつているが、まず野犬を捕獲する事が先決であり、捕獲人に対する手当は五十円に、飼育管理料は百円に増額すべきではないか。

▼西崎武敏議員(公正)=本条例の第三条の「放し飼いしないこと」と「つなまたはクサリなどをつけて連行すること」は「自治行政」で自治庁が設問に答えて「許されない」と回答している。長崎市の畜犬条例は違法となりはしないか。

▼田川市長=現行法では犬を制約することは許されていなし【原文ママ】、放し飼いによる危害防止に対する対策は規制されていないので、これを規成【原文ママ】するために畜犬条例をつくるのである。また法例【原文ママ】において放し飼いを許す法もないし、これを許す法があれば畜犬条例は違法といえる。法律で足りぬところを地方行政で補つて行くべきであると思つている。軽犯罪法は人の行為を規制しているが犬の場合は当然飼い主に責任がある。憲法、軽犯罪法ともに違反しないと考える。全国でもこの方法を考え、さらに狂犬病予防法の中にこれを規制しようとする動きもある。

▼西崎議員=全国でも現行法にふれるとして条例化ができないでいる法の実例の中に自治庁がハツキリ「できない」としているのに市長は「できる」というのか。

▼田川市長=現行法では勿論できない。しかしそれは積極的に「犬をつながせることが強制できない」であつて、長崎市の条例は消極的に規定したものである。つまり長崎市の条例は〝公衆の場所に出た場合につなげ〟というのであり、〝オリの中に入れろ〟というのではない。自分の屋敷内ではいいというのである。

▼町田連議員(さつき会)=ある週刊紙に魚河岸で飼い犬にかまれて死んだ人の慰謝料として百七十万円を請求したが、裁判で負けた――ということが出ている。飼い主を罰則することができないと出ている。

▼荒木徳五郎議員(さつき会)=第四条の罰則は、はつきり金額を出すべきではないか。

▼田川市長=罰金や懲役の時は定めるが、拘留、科料については別に法律で決めてある。

▼岡本清次議員(無所属)=広い屋敷をもつている人はいいが、屋敷をもたぬ人は、かわいそうだ。もつと親切な条例をつくれ。

▼福地禎二議員(教育厚生委員長)=常識的に守つてもらうことにして、よく周知徹底させるということで委員会は了とした。

▼江頭清議員(自民)=この条例の前の仕事は全くゼロに等しい。捕獲人になりたがる者はないという。なぜ野犬の捕獲を徹底させなかつたか。人間とちがう動物をしばるのは行きすぎであり反対する。(一たん休けい午後二時再会、片田議員の反対動議を否決、条例を可決)

『長崎民友新聞』1957年3月30日6面

 

おそらく傍聴席で記者が一生懸命発言をメモしたものから記事を起こしているため、前後のつながりがよくわからないところ、端折られすぎて意味が通らないところがあるのはまあしかたないでしょう。途中、赤字で発言者を示した「西崎議員 vs 田川市長」のやりとりが議論の中心の一つだったようです。囲み記事を見てみましょう。

 

[市政記者席]ワイセツ問答に爆笑

〇…この日の本会議は午前中全国初の試みである畜犬取締条例について〝法律にふれる〟〝いやふれぬ〟で法律問答が交わされ、日ごろ法律にかけては右に出るものはないといわれている田川市長自慢の法律解釈に、議会は引き回された形

〇…中には二つの週刊紙に特集された犬による危害を朗読したりする議員も現われたが、一般質問でも〝犬に親切な条例を〟と叫んだ岡本議員が、またまた珍発言、福地教育厚生委員長との間に犬の交尾からワイセツの単語もとび出し、チヤタレイ裁判そこのけの問答が交わされた。

『長崎民友新聞』1957年3月30日6面

 

囲み記事赤字の「法律に触れる・触れない」というのは、元記事赤字の田川市長の発言の1番目にある「憲法、軽犯罪法ともに違反しないと考える」という点をめぐっての話になります。「憲法」に違反するかどうかというのは、その2でも触れた、「条例は、法律の範囲内で制定できる」という日本国憲法第94条の問題に絡む部分です。「軽犯罪法」に違反するかどうかというのは、軽犯罪法において現在では削除されている第二十一号の内容に関わるものです。

 

軽犯罪法(1948年法律第39号)

第一条 左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。

(中略)

二十一 牛馬その他の動物を殴打し、酷使し、必要な飲食物を与えないなどの仕方で虐待した者

(以下略)

 

「犬をクサリでつなぐ」という行為がこの部分に抵触するのではないか、というのが問題となりました。「その他の動物」に「犬」が該当し、「……など」の部分に「クサリでつなぐ・オリへ入れる」といったことも含まれるのでは、というわけですね。(ちなみに、この軽犯罪法第一条第二十一号は、1973年10月1日公布の法律第105号によって削除されます。現在の「動物の愛護及び管理に関する法律(動愛法)」の前身である「動物の保護及び管理に関する法律(動管法)」こそ、この1973年法律第105号です。つまり、動管法によって虐待に関するより強い罰則規定が定められたので、この号は削除されました。)

 

赤字の部分の質問者である西崎議員は、「クサリでつなぐのは虐待であり、軽犯罪法に矛盾する条例である」「野犬は狂犬病予防法によって捕獲・抑留されるが、登録済みの飼い犬についてはその規定はなく、法律の規定外のことを条例で規定するのは、憲法94条に反する」という主旨でこの法案に反対したものと思われます。

これに対して弁護士出身の田川市長は「法律にかけては右に出るものはない」ということでこれに反論したわけですが、彼の解釈は、当時の条例に関する常識(法令の規制対象となる領域について、条例は制定できない)からは逸脱していたものの、現在の条例に関する判例(それぞれの趣旨・目的・内容・効果を比較して、矛盾抵触があるかどうかで判断する)には合致しています。ある意味先見の明があったということになりますね。

けれども、西崎議員をはじめとする反対派議員や取材記者たちにとっては、田川市長の答弁はある種の詭弁に見えたのだろうと思います。元記事で紹介されている田川市長の発言は支離滅裂にしか見えませんし、囲み記事の「議会は引き回された形」という締めくくりにもそれは表われています。

 

しかし、こうした細かい法律上のテクニックは別として、さるねこ父が注目したいのは「犬をつなぐのは、軽犯罪法に触れる虐待行為だ」という感覚が、西崎議員をはじめかなり多くの人間に共有されていたらしい、という点です。青字で示した「犬に親切な条例を」という岡本議員もその口でしょう。「つなぐなんてけしからん、犬には犬の自由があるのだ」と。もしかするとその考えの方が主流だったのかもしれない。

それに対して「放し飼いの犬に噛まれた・庭や畑を荒らされた」といった苦情を言うひとももちろんいたわけだけれども、どうかするとそっちの声の方が小さかったものだから、この畜犬取締条例の制定が図られた、というふうに解釈する方が、当時の現実には近かったようにも思われます。そうさるねこ父が思う理由は、その4で新聞の読者投稿欄を見ていくことで明らかにしたいと思います。囲み記事青字で示した「犬の交尾からワイセツの単語もとび出し」という脈絡不明の文章についても、読者投稿を読んでいくと意味がわかります。

 

というわけで、法律の話に偏って退屈かもしれない「その3」のまとめはこうなります。

  • 畜犬取締条例は、思いのほか議会での制定時に議論が白熱し、ひとびとの注目を集めた条例であった
  • 当時のひとびとの多くは「犬をつなぐというのは、虐待だ」と考えていたのかもしれない

 


 

おまけです。新聞記事をめくっていたら、こんな写真を見つけました。

 

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毎年精霊流しの解説に登場される越中哲也先生の若かりし頃の写真です。越中先生は1921年生まれですから、たぶん30代前半ごろの顔写真でしょう。若い。当時は長崎市立博物館学芸員をされていて、この記事では、長崎みなと祭が開催される日付=4月27日(1930~1993年はこの日を中心に行なわれていた)は、長崎港にポルトガル貿易船が来港した日付に基づくのだけれども、それはなんでそう決められたのか、という経緯などについて述べていらっしゃいます。

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