
欠落感と喪失感:ドキュメンタリー映画『100万回生きたねこ』を観て
以前予告編をご紹介したドキュメンタリー映画『100万回生きたねこ』を観に行ってきました。あんまり予備知識を入れてしまうと純粋に楽しめないクチなので、公式サイト上の最低限のコメントを読んだだけで、90分じっくり観てきました(あと、佐野洋子さんのエッセイは以前何冊か読んだことはあり)。観終わったあとに、この映画の監督である小谷さんへのロングインタビューを読んだり、Twitter でのつぶやきに答えて下さった小谷さんのリプライから、いろいろと考えていました。感想混じりに並べてみます。
この映画の前半は、亡くなる前の佐野さんへのインタビューと、絵本『100万回生きたねこ』のストーリー、それに絵本を改めて読み返した読者の女性たちへのインタビューの3つのパートが、絡み合いながら進みます。監督インタビューの中では「生の時間」として構成されています。この部分は、非常に緻密に練られた映像が続きます。中央線沿線で小谷監督が2年間かけて撮影したねこたちの大部分も、ここで登場します。
あっけらかんと迫り来る自分の死について語る佐野さんへのインタビューとは対照的に、絵本の読者の語りは、ぽつりぽつりと、しかし重苦しい内容を孕んでいて、観ていて息苦しくなります。彼女たちに共通するのは――欠落感。
欠落感は、喪失感とは正反対の感情のように思います。それまでごく自然に、あたりまえのように持っていたものを、ある日突然失ってしまって憶える感情が喪失感。3・11震災のあと、わたしたちはそれを見せつけられました。肉親を失い、家を失い、ムラを失う、途方もない喪失感も、息苦しさを感じさせる点では同じ。だけれど、それはある種「血の気がひくような」感覚で、冷たいものです。
一方の欠落感は、じりじりとした焦燥を伴った、やけどしそうな熱さをもった感覚です。求めたのに得られなかった、どうしようもなく満たされない感情が欠落感。映画のなかの女性たちが求めたのは母からの愛情であったり親子揃った「幸せな」家庭であったりさまざまですが、普段は水面下に沈めてあるはずのそうした欠落感を、絵本『100万回生きたねこ』は露わにしてしまう。
前半部分の息苦しさを伴った映像が折り重ねられていくうちに気づかされるのは、「ああ、ひとは誰しもみな、求めても得られない欠落感を抱えて、でもそれを見て見ぬ振りをしながら暮らしているんだな」ということです。その重苦しさの上で、軽やかにステップを踏みながら進んでいくように見えるのが、佐野洋子さん。佐野さんのエッセイを読んだりしたことのある方なら、姿こそ見えねど、おそろしいほどあっけらかんとした佐野さんの話す様子は想像できるかと思いますし、読んだことがない方なら、「へえ、こんなしゃべりをするひとが、あの絵本を描いたんだ」とちょっと感動すると思います。
軽やかな(軽やかすぎる)ソプラノを唄う佐野さんと、通奏低音のように重く(重苦しく)語る読者の女性たちとの間で、淡々と伴奏を務めているのが、ねこたち。そんな感じです。そう、ねこは欠落感とも喪失感とも無縁で、軽くもなく重くもなく、ただ目の前の現実とともに生きている。
なるほどねー、そういう構成か……と思って観ていると(そして、しかしそれじゃあちょっとありきたりだよなー、とかいう批判精神もむくむくと鎌首をもたげてきたところで)、佐野さんの葬儀のシーンに切り替わります。ここで、小谷監督がそれまで織り上げてきた緻密な音楽は転調し、構成はばらばらになります。軽やかなソプラノを唄っていたはずの佐野さんの別の一面が、彼女のエッセイの文章が断片的に拾い上げられるうちに垣間見えてくる。映画の後半部分、監督インタビューでは「死の時間」と位置づけられる部分です。
正直な話、後半部分は、監督の意図した「混乱」なのか、監督自身も巻き込まれてしまった「混乱」なのか、判然としません(監督インタビューでは、後半部分の撮影では相当苦労したようなことを述べておられるので、あるいは後者に近いのかもしれない)。もう1回か2回、後半部分だけでも観返すことができれば、もう少し解けるのかもしれないし、やっぱり混乱したままかもしれません。混乱を解く鍵を持っているはずの佐野洋子さんがこの世から去った今、もう誰にも答えは見えなくなっているような気もします。
ただその後半部分を観ながら印象的だったのは、軽やかに見えた佐野洋子さん自身が、ほかならぬ自分自身の才能について、実は子どもの頃から抜きがたい欠落感を抱えていたように思えたところです。佐野さんもまた「求めても与えられることの叶わぬひと」だった。前半部分の読者の女性たちとも、ほかのすべてのわたしたちとも同じ次元に、佐野さんもいたんだなあ(たぶん)、と気づいたのは(あるいは誤解かもしれませんが)印象深かった。
そして、その上でもう一度、佐野さんはやっぱりすごいんだなと思ったのは、彼女はその欠落感を、隠蔽したり拘泥したり昇華させたりすることなく、「あるがまま」にしてしまうところです。そうする魔法を、彼女はある日突然体得する。その魔法の種明かしは、後半にもう一度出てくる読者の女性たちのバストアップ映像にある(と思う)のですが、それはおそらく、佐野さんが戦前の中国(北京)で生まれ育ったことに関係しているようです。日本生まれの日本育ちであれば「欠落感がもたらす焦燥を水で冷やし、浄めて、流し去り、なかったことにしてしまう」んでしょうけど、彼女はどうもそうではなかったらしい。
このあたりはさるねこ父もまだ未消化ですので、佐野さんのエッセイ(小谷監督に勧めていただいたのは『私の猫たち許してほしい』=ちくま文庫)を読み直しながら、またゆっくり考えてみたいと思います。
- ドキュメンタリー映画『100万回生きたねこ』
- 東京=シアター・イメージフォーラム(03-5766-0114/12月8日(土)~)
- 横浜=シネマ・ジャック&ベティ(045-243-9800/1月19日(土)~)
- 逗子=CINEMA AMIGO(046-873-5643/順次公開)
- 高崎=シネマテークたかさき(027-325-1744/順次公開)
- 静岡=シネギャラリー(054-250-0283/12月22日(土)~)
- 松本=松本シネマセレクト(0263-98-4928/2月23日(土)のみ)
- 名古屋=名古屋シネマテーク(052-733-3959/12月24日(祝)~)
- 大阪=梅田ガーデンシネマ(06-6440-5977/1月5日(土)~)
- 京都=京都シネマ(075-353-4723/3月公開予定)
- 神戸=神戸アートビレッジセンター(078-512-5500/2月9日(土)~)
- 岡山=シネマクレール(086-231-0019/12月22日(土)~)
- 広島=横川シネマ!(082-231-1001/2月公開予定)
- 松山=シネマルナティック(089-933-9240/順次公開)
- 沖縄=桜坂劇場(098-860-9555/2月公開予定)
- 横浜=シネマ・ジャック&ベティ(045-243-9800/1月19日(土)~)
長崎でも、待ってれば来るのかしらん……?
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